2015年3月15日日曜日

5.銀河地球人学校を始めた理由ーその2

「銀河地球人学校」を始めた理由シリーズの2回目です。

これまた小学校時代の別の側面のお話です。

私の母方の実家が名古屋で、私はおばあちゃんが大好きでした。
夏休みになると祖母の家に長期滞在し、遊んでもらっていたことをよく覚えています。
おばあちゃんは、毎回僕が名古屋に滞在する際に、書店によく連れていってくれて、自分の気に入る本を買ってくれました。その中で、もっとも印象に残っている本が、小学館の「気象と天文の図鑑」でした。

今では絶版となってしまった本ですが、小学・中学生向けの本だったのでイラストが多く、わかりやすい本でした。自分は嬉しくて何度も観ているうちに、地球や宇宙に関心を持つようになり、将来は地球に関しての科学者になるのが夢になりました。これは自分の将来を決めるルーツになった出来事だと思います。

それと同時に、私が小学生の頃は昭和の高度経済成長期にあり、その闇の部分として四日市喘息・水俣病・イタイイタイ病などの公害問題が盛んに報道され、人間による地球環境の弊害についても強く意識するようになっていきました。なぜ日本人はこんなにも経済を優先して地球環境を汚染しているのかということに心を痛めたことを思い出します。よく環境問題に関する作文なども書いていたような気がします。

中学生の頃は、原子力発電から出る高レベル放射性廃棄物の処分問題などで、なんとなく原発は危ないな、やめた方がいいなという意識なども芽生えていました。
また、当時、小松左京の「日本沈没」という小説が大ヒットし、小説の原作から映画やテレビなどもつくられ、プレートテクトニクスという考え方や地球物理学という学問があることを知り、自分は地球物理を大学で専攻して気象庁に入り、自然災害を食い止めることを仕事にしようと決意します。

高校は伊勢原から12kmほど離れた大磯高校に決まりました。
教室から毎日海が見えるのが自慢の高校で、とてもおおらかな高校時代を送ったことを覚えています。ただ部活動と伊勢原ー大磯の自転車往復で毎日が過ぎていきました。
この、海を眺めることができる高校に通っていたことは本当に恵まれていたと思います。

予備校で1年間、大学受験勉強し、目指す地球物理学科のある北海道大学に入学します。
大学では地球物理学の中で気象学か地震・火山学のどちらを専攻するか最後まで悩みましたが、より地震の予知や地球全体のグローバルなことが研究に興味があったので、地震学・火山学講座を専攻し、大学院の修士課程まで進みました。学部の卒論では地震の予知について、大学院では地震のメカニズム決定(地震発生から数分)の研究で修士論文を書きました。特に大学院では世界最先端の研究に触れることができたこと、世界で誰もやったことのないことを自分ができることの喜び・楽しさを知りました。それを見せてくださった大学で指導してくださった先生方にも、とても感謝しています。

高校・大学の頃は科学をまともに勉強している時期で、小学中学時代に熱を上げていた不思議現象などからはしばらく遠ざかっていましたが、これに対して再び興味・関心が湧くのは社会人になってからになります。


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