2015年3月15日日曜日

6.銀河地球人学校を始めた理由ーその3

銀河地球人学校を始めた理由シリーズの3回目です。

今回は大学院修了から社会人にかけてのお話です。

大学を卒業する頃、大学院に進むか就職するかという選択があったわけですが、今や大学で本格的な研究をするには学部だけでは全然不足であり、大学院に行くというのは当然の選択でした。
前回も書きましたように、大学院では地震波を使った震源のメカニズム(断層がどうすべったか、どのくらいのマグニチュード化)の研究で修士論文を書きました。

ただ、博士課程に進む気はありませんでした。自分の興味を限定することが嫌だったのだと思います。学者として生計を立てるにはよほどの天才でない限りは非常にレンジの狭いところを突き詰めて世界先端をキープしつづける必要があります。一生同じ分野を・・・ 自分の興味のレンジは広いのでそういった限定的な興味の強制というのは不可能だと思ったのです。

そして、大学院も終わりに近づき、就職シーズン。
私が大学院修了する頃はバブル全盛の頃で、企業からの求人は引く手あまたの状況でした。
国家公務員試験を受けて気象庁入庁という選択もあったのですが、正直、試験が難しいのと配属先が気象庁というピンポイントで叶うかというリスクがあったため、あきらめました。

結果的に、気象庁や東京大学地震研究所にコンピュータシステムを納入している日立製作所にSE(システムエンジニア)として入社しました。

その頃、時間もあったので、ふたたび不思議世界関係の本を読みあさっていました。
そんな時、紹介で知った本が、BASHAR(バシャール)
この本は衝撃でした。

どこが衝撃かと申しますと、これまでの本はどれも「地球人のタッチ」で書かれた本です。
精神世界の様々な分野の本は、いろいろ教えはかかれてありますが、いかにも地球的な匂いの人間臭さが感じられる本で、著者の思考の反映が読み進めるとわかりました。
しかし、このBASHARに関しては、それが感じられない・・・・発想のすべてが従来の地球人とは離れている感があり、これが著者であるダリル・アンカの完全創作であるのは不可能と思えました。

このあたりから、私のスピリチュアルの旅は小中学校時代を第1期とすれば、第2期の時期といえましょう。

日立でシステムエンジニアで働く2年間の配属先は、気象庁でも地震研究所でもなく宇宙技術推進本部でした。その後の進路としては宇宙開発関係専属のSEというものでした。はたから見るとよく憧れられたのですが、自分自身はあまり興味が持てないものだったのです。
また巨大組織というのはタンカーの進路のごとく、進路方向が変えられず、また将来的な会社での自分の立ち位置やキャリアなども2年間でおおよそ見えてしまい、ここにいても自分自身の成長がないなという感覚があり、「ものづくり」の前に「ひとづくり」ありということで、高校教員の道を目指しました。

教員になってから、実はこの会社での2年間の経験というものが非常に役に立つことがありました。
それは仕事の仕方やこなし方、外部の人とのコミュニケーションの取り方などです。
行徳高校で地震前兆電波観測プロジェクトや東葛飾高校でリベラルアーツなど、外部の人との連携で行った事業がたくさんあるのですが、そうした基盤は社会人時代に培った人間力でした。

教員生活21年目で、東日本大震災を迎えることになります。
津波による犠牲や原発事故  大きな衝撃がありました。
人の命や魂とは何なのだろう・・・・
テクノロジーがもたらす光と闇・・・
多様化・複雑化・グローバル化(網の目化)する世界
予測が不可能な世界の歩き方とは・・・

いままでの科学の枠組みでも宗教の枠組みでもない第3極のアプローチ。
それはすなわち、ユニバーサルな見地。
地球の外側から地球を俯瞰して観る。
地球よりずっと進んだ知性だったらどう解決に至るかを想像して、創造的な解決を図る。
それが異星人の思考法であり、それを学ぶのが銀河地球人学校。

そして話は、ブログ 2.銀河地球人学校の目的 につながっていきます。

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